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中島敦
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- | ====== 中島敦 ====== | ||
- | == Description == | ||
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- | なかじまあつし [1909―1942] | ||
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- | * [[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E6%95%A6|『Wikipedia』で調べる]] | ||
- | * [[https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person119.html|『青空文庫』で公開中の作品リストを見る]] | ||
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- | 小説家。明治42年5月5日、東京に生まれる。中島家は、乗物師の名家として代々日本橋新乗物町(現日本橋堀留町)に住んだ。祖父の代から学問を志し、従祖父、伯叔父、父と、みな漢学に生きた。一高を経て、1933年(昭和8)東京帝国大学国文科卒業。大学院在籍のまま私立横浜高女の教師となる。中学時代から小説を書いたが、孤独をよしとする生活を貫いたため、世に知られる機会を得られなかった。41年南洋庁の教科書編集書記としてパラオへ赴任、彫刻家・民俗研究家の土方久功(ひじかたひさかつ)と知る。出発前深田久弥(きゅうや)に託した原稿が深田によって『文学界』に載り(42年2月号に『山月記』と『文字禍』)、初めて有才の新人として処遇される。42年3月帰京、作家としてたつ決意をし、『悟浄出世』(1942)、『弟子』『李陵(りりょう)』(ともに1943)を書き、7月『光と風と夢』、11月『南島譚』を刊行するが、12月4日持病喘息(ぜんそく)によって死去。多磨墓地に葬られる。第二次世界大戦下文学の清冽(せいれつ)な一脈である。横浜高女旧校地に文学碑、日大法学部図書館に中島敦文庫がある。 | ||
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- | (佐々木充「中島敦」『日本大百科全書(ニッポニカ)』より) | ||
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- | == Works == | ||
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最終更新: 2019/10/24 13:47