category:allusion

暗示引用 (allusion)

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-====== 暗示引用 ======+<​!--HEADER-->​ 
 +====== 暗示引用 ​(allusion) ​====== 
 +<​!--/​HEADER-->​
  
-^  ​Hypernyms ​ ​| ​引喩, 引用, 引用法 ​ | +<​!--METADATA-->​ 
-^  ​Synonyms ​ | allusion, 引喩, 間接引用,​隠引法,​ 引用法 ​ | +|< 60% 30%>| 
-^  ​Hyponym ​ ​|  ​本歌取り,​ 模擬, パロディー,​ mimesis ​ |+^  ​Page Type  ​| ​ ​Category ​ | 
 +^  ​Category ID  ​| ​ allusion ​ | 
 +^  ​Superordiantes ​ ​| ​   | 
 + Synonyms ​ ​| ​ ​隠引法 ​ | 
 +<​!--/​METADATA-->​
  
-==DEFINITION==+<​!--DEFINITON-->​ 
 +==Definition== 
 + 
 +著名な原表現をそのまま引用するのではなく、それを連想する契機となるような言語表現を用意することにより、表面上の意味がひととおり通るようにしながら、同時にその裏に別の映像をフラッシュのように流す修辞技法。
  
 暗示引用 (allusion) は、聞き手や読み手にとって既知と見なされた、故事・文章・演説・歴史的事件・ニュース・劇の台詞・慣用句などへ暗黙裡に言及する表現の手法である (菅野 2003) 。 暗示引用 (allusion) は、聞き手や読み手にとって既知と見なされた、故事・文章・演説・歴史的事件・ニュース・劇の台詞・慣用句などへ暗黙裡に言及する表現の手法である (菅野 2003) 。
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   - 聞き手や読み手はその表現が引用であることが分かるが、   - 聞き手や読み手はその表現が引用であることが分かるが、
   - 話し手や書き手はそれが引用であるとは明記しない。   - 話し手や書き手はそれが引用であるとは明記しない。
 +<​!--/​DEFINITION-->​
 +
 +<​!--SUBORDIANTE-CATEGORIES-->​
 +==Subordinate Categories==
 +
 +{{topic>​category:​allusion +index:​category}}
 +
 +<​!--/​SUBORDINATE-CATEGORIES-->​
  
-==FEATURES==+<​!--FEATURES-->​ 
 +==Features==
  
 ===暗示引用の対象の種類=== ===暗示引用の対象の種類===
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   * 慣用句の暗示引用の例として、「爪の先はまっ黒で、これはどうやら物凄い黴菌の棲息地と思われ、間違って煎じて飲んだら」(井上ひさし『モッキンポット師の後始末』)という表現がある。「爪の先」の「物凄い黴菌」からどうして「煎じて飲んだら」などといった発想が生まれるのかという展開の不自然さがヒントになって、「爪の垢を煎じて飲め」という隠し絵が姿をあらわすのだ (中村 2002) 。   * 慣用句の暗示引用の例として、「爪の先はまっ黒で、これはどうやら物凄い黴菌の棲息地と思われ、間違って煎じて飲んだら」(井上ひさし『モッキンポット師の後始末』)という表現がある。「爪の先」の「物凄い黴菌」からどうして「煎じて飲んだら」などといった発想が生まれるのかという展開の不自然さがヒントになって、「爪の垢を煎じて飲め」という隠し絵が姿をあらわすのだ (中村 2002) 。
   * 著名な文章の暗示引用の例として、聖書を引用元とした「右のホオを打たれたら、左のホオも出すといった態度では、今のサラリーマンは出世はできない。」がある (平井 2003) 。   * 著名な文章の暗示引用の例として、聖書を引用元とした「右のホオを打たれたら、左のホオも出すといった態度では、今のサラリーマンは出世はできない。」がある (平井 2003) 。
-  * 有名なの暗示引用の例としては、世の中には、肥えたソクラテスもおば、痩せたブタもいるもので……うせりふがある。これは大河内東大総長の、「肥えブタより痩せたソクラテスになれ」と言った言葉をふまえている ​(赤塚 1992) +  * 赤塚 (1992) は、1964年の3月、当時の東京大学の総長であった経済学者の大河内一男先生が語ったとされる有名な言葉である「肥えたブタより痩せたソクラテスになれ」を挙げている。[[https://​www.co-media.jp/​article/​8593)|2015年3月東京大学で行われた卒業式典での石井洋二郎氏のスピーチ]]によれば「これは大河内先生自身が考えついた言葉ではなく、19世紀イギリス哲学者ジョン・スチュアート・ミルの『功利主義論』という論文からの借用」である。同氏によれば原文は ”It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.”(満足し豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足し馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよ。)である。
   * 俳句の暗示引用の例として「発句は芭蕉か髪結床の親方のやるもんだ。数学の先生が朝顔やに釣瓶をとられて堪るものか。」という夏目漱石『坊っちゃん』の表現がある。これは、「朝顔に釣瓶とられて囉(も)らい水」という加賀千代の「千代尼句集」にある一句を連想させる。この小説は『ほとゝぎす』という俳句の雑誌に発表したという事情もあろうが、特に俳句をたしなまない一般読者にもその一句はよく知られていたので、裏にその句をふまえたこの表現は広く読者を楽しませてきた (中村 2007) 。   * 俳句の暗示引用の例として「発句は芭蕉か髪結床の親方のやるもんだ。数学の先生が朝顔やに釣瓶をとられて堪るものか。」という夏目漱石『坊っちゃん』の表現がある。これは、「朝顔に釣瓶とられて囉(も)らい水」という加賀千代の「千代尼句集」にある一句を連想させる。この小説は『ほとゝぎす』という俳句の雑誌に発表したという事情もあろうが、特に俳句をたしなまない一般読者にもその一句はよく知られていたので、裏にその句をふまえたこの表現は広く読者を楽しませてきた (中村 2007) 。
   * 小説の暗示引用の例として、朝日新聞の1993年7月17日のコラム「素粒子」には「連立はすべて闇の中である。ある所は武村づたいの道でありある所は小沢に臨む崖である。」とあるが、これは島崎藤村の『夜明け前』を背景としている (中村 2007) 。   * 小説の暗示引用の例として、朝日新聞の1993年7月17日のコラム「素粒子」には「連立はすべて闇の中である。ある所は武村づたいの道でありある所は小沢に臨む崖である。」とあるが、これは島崎藤村の『夜明け前』を背景としている (中村 2007) 。
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 つまり、暗示引用の「暗示」には次の2つの意味がある。第1に、引用していることを明示しないという意味、第2に、引用の典拠を明示しないという意味である。典型的な暗示引用は、この2つの両方の意味で暗示的である。 つまり、暗示引用の「暗示」には次の2つの意味がある。第1に、引用していることを明示しないという意味、第2に、引用の典拠を明示しないという意味である。典型的な暗示引用は、この2つの両方の意味で暗示的である。
 +<​!--/​FEATURES-->​
  
-==FUNCTIONS==+<​!--FUNCTIONS-->​ 
 +==Functions==
  
 ===引用と同じ機能を果たす=== ===引用と同じ機能を果たす===
ライン 69: ライン 89:
  
 暗示引用は、この間テクスト性を十全に利用した文彩であり、他者の言葉が背景となって、自分の言葉の効果を高める表現法であると言える。 暗示引用は、この間テクスト性を十全に利用した文彩であり、他者の言葉が背景となって、自分の言葉の効果を高める表現法であると言える。
 +<​!--/​FUNCTIONS-->​
  
-==HISTORY AND RELATED TERMS==+<!--HISTORY-AND-RELATED-TERMS--> 
 +==History and Related Terms==
  
 ===本歌取り=== ===本歌取り===
ライン 94: ライン 116:
 さらに、ここでの引用法は「引用であることを明確に示したもの」であり、明示引用とも呼べるものであるが、明示引用と暗示引用の関係が、直喩と隠喩の関係と類似しているとされることがある。「引用であることを明言すれば直喩的になり、いわゆる隠引法のうち、文中に組みこまれたものは隠喩的、独立して置かれたものは諷喩的、というように、その引き方によって性質が違う。そして、引用の手つづき以外に言語表現形式上の特色がないので、直喩・隠喩・諷喩とは別に,それらと並ぶ比喩法の一種として立てる必然性は稀薄である」 (中村 1977) 。さらに、次のような指摘がある。「此の法は引用法を煎じ詰めたもので、二者の関係は隠喩対直喩の関係に似ている」 (速水 1988) 。 さらに、ここでの引用法は「引用であることを明確に示したもの」であり、明示引用とも呼べるものであるが、明示引用と暗示引用の関係が、直喩と隠喩の関係と類似しているとされることがある。「引用であることを明言すれば直喩的になり、いわゆる隠引法のうち、文中に組みこまれたものは隠喩的、独立して置かれたものは諷喩的、というように、その引き方によって性質が違う。そして、引用の手つづき以外に言語表現形式上の特色がないので、直喩・隠喩・諷喩とは別に,それらと並ぶ比喩法の一種として立てる必然性は稀薄である」 (中村 1977) 。さらに、次のような指摘がある。「此の法は引用法を煎じ詰めたもので、二者の関係は隠喩対直喩の関係に似ている」 (速水 1988) 。
  
-==EXAMPLES IN THE LITERATURE==+  * [[https://​www.fukirhetoric.com/​example/​allusion2.html|『ふき出しのレトリック』で調べる]] 
 + 
 + 
 +<​!--/​HISTORY-AND-RELATED-TERMS-->​ 
 + 
 +<!--EXAMPLES-IN-THE-LITERATURE--> 
 +==Examples in the Literature==
  
  
ライン 138: ライン 166:
   * 「一冊の手帳紛失を隠蔽するために、二十九冊の手帳を盗んだ」という動機が解明されるところで、わざわざ作者はチェスタトンの名を書きつける必要はないし、また出典を明記する義務もない。「賢い人間なら木の葉をどこに隠すか」という命題は、いわば知っていて当然の常識として暗示引用されているのだ。読者がそれを知っていれば「こういう応用の手があったのか」と楽しみが増えるし、また知らなくてもさしつかえない処理はほどこされている。 (野崎 2002)   * 「一冊の手帳紛失を隠蔽するために、二十九冊の手帳を盗んだ」という動機が解明されるところで、わざわざ作者はチェスタトンの名を書きつける必要はないし、また出典を明記する義務もない。「賢い人間なら木の葉をどこに隠すか」という命題は、いわば知っていて当然の常識として暗示引用されているのだ。読者がそれを知っていれば「こういう応用の手があったのか」と楽しみが増えるし、また知らなくてもさしつかえない処理はほどこされている。 (野崎 2002)
  
 +<​!--/​EXAMPLES-IN-THE-LITERATURE-->​
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 +<​!--REFERENCES-->​
 == References == == References ==
 +
  
   - 赤塚行雄 (編) 1992. 『修辞学ってなんだ!?―レトリック感覚で世の中を見直せば―』 ビジネス社.   - 赤塚行雄 (編) 1992. 『修辞学ってなんだ!?―レトリック感覚で世の中を見直せば―』 ビジネス社.
ライン 163: ライン 195:
   - オリヴィエ・ルブール. 2000. 『レトリック』 佐野泰雄訳. 白水社.   - オリヴィエ・ルブール. 2000. 『レトリック』 佐野泰雄訳. 白水社.
  
 +<​!--/​REFERENCES-->​
  
-== Examples in the corpus ​==+<​!--EXAMPLES-IN-THE-CORPUS-->​ 
 +== Examples in the Corpus ​==
  
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最終更新: 2021/04/03 17:22